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私の家族が被災地にいるということで
友人がそのことを気にかけていた
「心配も何もいつも考えている」
と言った私に
「離れてるからいつも心配だよね」
と友人は言った
しかし実際はもっと淡白で
いつも考えることと言ったら
「早くあの筋肉に触りたいなぁ」
というようなことが主で
被災したと聞いた時も一貫してそこから
「生き死に」などへの心配に全く向かなかったのである
2017/09/10
「心配がわからない」
「心配してない(しようがない)」
「別段こんな時だからというわけでもなく触りたいと思っている」
最初にそんなことを伝えた
ちなみに触りたいとは常日頃から言っている
男女が手を絡めている『手』の画像と
老夫婦が寄り添う画像が送付されてきた
文章はなかった
震源地にもっと近かったら
違う事を言っているのだろうか
生きている事を
「立派」
「良く生き抜いた」
と言われることが物凄く嫌と思う
永らえたのは事実であって
喜ぶ人がいる
反面、とても嫌なのである
好きな自分として生きられなかった
ただ、流されていた
それのどこが立派なのだ
屈辱と感じるのである
立派ではない
むしろ生き死にを決断するほど
自分の人生の舵を
切っていなかった
決断自体が生きることとも思う
好きな人に触れることは
嬉しい
相手がどう思っているかは
わからない
アンカー 1
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